2016年10月24日
千里中央(大阪府 豊中市・千里ニュータウン)、心療内科 精神科「医療法人秀明会 杉浦こころのクリニック」の杉浦です。
今回は『「千里中央」の歴史』の9回目です。引き続き、千里中央について詳しく触れたいと思います。
【続き→】〖千里ニュータウン建設決定のころ(下) 千里慕情 ユニークな旧小字の地名〗
現在の千里ニュータウン地域は、昔は「寝山」または「外山」と呼ばれる平凡な雑木林の山でした。「津雲」は「九十九(つくも)」が元の地名であることからもわかるように、いくつも谷間のあるアップダウンのある、千里丘陵というよりむしろ山でした。
「外山」は、山田・佐井寺・下新田の各村(後の吹田市)と、熊野田・上新田の各村(後の豊中市)にまたがっていたが、さらに細かく、およそ100ほどの地名(小字)がありました。「だんご図」がそれです。
藤白、津雲、古江という地名も見えます。現在の町名はきっとそこからとったのでしょう。池の名前は今も昔も変わらないものが多いです。
驚きは、中央左端の鬼ヶ谷という地名。現在の新千里西町2丁目から千里インターチェンジをはさみ、新千里南町1丁目に至る地域に該当します。
豊中市立西丘小学校や婦人会館あたりから東南斜面にかけてというわけだが、そんなに恐ろしいところだったのでしょうか。古い写真を見ると絶壁の岩場があり、まさに「鬼」が出没するような雰囲気もなくはないです。
かつて青山台に住んでおられた一主婦の方が、昭和51年(1976年)に、「千里ニュータウンむかしのはなし」という冊子(B5判40ページ)を自費出版しました。千里の近辺に住む古老を取材して回って聞いた話をまとめたものです。
それによると、さきの鬼ヶ谷には「たんつく」という三段になった池があり、山ゆりが咲き、ホタルが飛び交っていたが、その奥は恐ろしくて一人ではとても行けるようなところではなかったといいます。
■おじいちゃんおばあちゃんのはなし
冊子はさらに、キツネやタヌキに化かされたというどこにでもあった民話伝承が紹介されているが、千里の山にはたくさんのタヌキが住み、勇敢な人はタヌキ穴を探して捕獲し、「タヌキ汁」に舌づつみを打ったといいます。また、大きな池には、たいてい竜または大蛇が住んでいたという伝説を残しています。
以上、千里中央駅直結・千里セルシー3階・豊中市、心療内科「杉浦こころのクリニック」の杉浦でした。