住みたい街「千里中央」(その2) | 豊中市 千里中央駅直結の心療内科「杉浦こころのクリニック」

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住みたい街「千里中央」(その2)

心療内科 精神科、大阪府 豊中市・千里中央駅直結「医療法人秀明会 杉浦こころのクリニック」の杉浦です。
今回は『住みたい街「千里中央」』の2回目です。前回に続き、千里中央について詳しく触れたいと思います。

【続き→】■千里セルシー広場

北大阪急行「千里中央駅」と、大阪モノレール「千里中央駅」を結ぶ道の中心部に広がる『千里セルシー広場』。
時代、そして「千里中央」という街の姿が移り変わっても、『千里セルシー広場』という場所は今も変わらず人々の思い出の舞台となっています。
1972年(昭和47年)11月15日、 現在“せんちゅう”として親しまれる千里中央の地に、千里ニュータウンの中核アミューズメント施設として開業した『千里セルシー』。ショッピングエリアの他にボウリング場、映画館、プールに、サウナ等、様々なアミューズメントが揃う、当時では非常に珍しい、先進的な複合施設として注目と憧れを集めました。その目玉の一つでもあったのが『千里セルシー広場』です。開業当時は、地域の野菜を売る朝市、陶器市なども催されていました。
『千里セルシー広場』での思い出についてのアンケートでも多かったのは、「歌手やアイドルのライブを見に行った」という思い出。「特に千里セルシー広場が盛り上がるのはアーティストが来た時」といいます。
主に、人気が出る前のアーティストがデビューや新曲のプロモーションにと、こぞって『千里セルシー広場』のステージに立ちます。「『千里セルシー広場』のステージで新人が歌うと必ず大物になるジンクスがある」というのです。既に人気のあるアーティストから出演希望の依頼もあるそうだが、3000人以上集まりそうな場合は、そこまでのキャパシティーがないからと、断るのだといいます。それもそのはず、「寛ぎと交流のスペース」として設けられた『千里セルシー広場』であったから、そもそも大々的なプロモーションができる場所として設計されていないです。最近では、多数の来場を見越して、大きな広場を設ける商業施設も多いです。『千里セルシー』が設計されたのは45年も前。いかに、先端を行く場所であったかがわかります。

以上、心療内科、豊中市・千里中央駅「杉浦こころのクリニック」(千里ニュータウン・千里セルシー3階)の杉浦でした。

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