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草津温泉について(その13)
2015/01/09
皆様、おはようございます。心療内科(大阪府・千里ニュータウン・千里中央駅)「杉浦こころのクリニック」の杉浦です。
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草津温泉の直接史料での初出は文明4年(1472年)、蓮如が訪れたときのものであると言われているがこれは定かではないです。しかしこの頃にはすでに全国に名の知れた湯治場となっていました。(参考:この記述は他の記録とも年号が違ったり、後世に記したものなので真意の程は定かではない。草津温泉温泉観光士講座より抜粋) 戦国時代になると湯本氏が文献に多く登場し、草津の湯治客からとる湯銭を武田配下の真田氏に納めたり、草津や白根で採れる硫黄を戦国大名に贈っているほか、豊臣秀吉が徳川家康に草津入湯を勧めた書状なども伝わっています。
なお、草津温泉の由緒として「吾妻鏡によると、建久4年(1193年)8月源頼朝が浅間山で巻狩りを行った際に、木曾義仲の遺臣で義仲遺児を匿って草津に潜んでいた細野氏を見出し、湯本の姓を与えて草津の地頭とし、以後、湯本氏は温泉経営をもって北条・足利に仕えた」とよく云われているが、吾妻鏡にそのような記述は無いです。近在の人に自分の権利を認めさせるための作り話しでしょう。(萩原秋水遺文集より)