「千里中央」の歴史(その3) | 豊中市 千里中央駅直結の心療内科「杉浦こころのクリニック」

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「千里中央」の歴史(その3)

2016年07月16日 

千里中央大阪府 豊中市・千里ニュータウン)、心療内科 精神科「医療法人秀明会 杉浦こころのクリニック」の杉浦です。
今回は『「千里中央」の歴史』の3回目です。引き続き、千里中央について詳しく触れたいと思います。
【続き→】千里中央(新千里東町一丁目)が開発された千里丘陵と開発の経緯を紹介します。
千里千里丘陵)の特徴
千里ニュータウンを開発した千里地区千里丘陵地区)は大阪市の中心から約15キロのいわゆる千里丘陵の一帯にあたります。千里丘陵地区は六甲山脈が北東に伸びた北摂千里の山脈から大阪平野に突出隆起している洪積台地で、東側は東海道本線、名神高速道路、西側は東豊中の丘陵地帯、北側は国道171号線(西国街道)によって囲まれています。行政区域は東は吹田市、西は豊中市に属し、北は箕面市に接しています。
千里丘陵は、地質学的には洪積層です。大阪盆地のまわりには高さ100メートルくらいの丘陵地帯が散在し、これらを大阪層群と呼んでいます。
大阪層群は比較的凝固度の低い花こう岩質の荒い砂ないし中粒の砂、砂れき、淡青色の粘土、などからなり、薄い凝灰岩層を数枚はさんでおり、その基盤は花こう岩です。また大阪層群は第3紀鮮新世末(注 ~170万年前)から第4紀(注 170万年前~)にかけてできたと考えられ、その後数回にわたり氷河期における海退と陸化、山地の上昇運動、さらにその侵食、準平原化が繰り返されて、現在千里丘陵に見られるようなもろい砂れきと粘土の混じった低く平らな丘陵地帯となりました。
千里丘陵の最高地点は西北の尾根にあり、高さは約130メートルです。しかし大部分は50メートルから70メートルの丘陵で、その間に複雑に入り組んだ谷間があります。丘陵部は松、竹、果樹などの林におおわれ、低い部分と緩やかな斜面は田畑として開発されました。西部には天竺川が上新田、熊野田の集落を経て東部を流れ、神崎川に合しています。その南の高川の流域には下新田の集落があります。千里丘陵北部の蓮間ヶ池を起点とする山田川が千里丘陵の東を貫通し、その流域に沿って南北に細長い山田集落があります。山田川の南には正雀川があり、山田川とともに安威川に注いでいます。これらの河川によって千里丘陵は大きく分けられ、その流域が帯状平野を形成しています。また、千里地域は雨の少ない地帯に属するため、千里丘陵全域にわたってため池が散在しています。
以上、千里中央駅直結・千里セルシー3階・豊中市、心療内科「杉浦こころのクリニック」の杉浦でした。

 

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