2016年07月13日
千里中央(大阪府 豊中市・千里ニュータウン)、心療内科 精神科「医療法人秀明会 杉浦こころのクリニック」の杉浦です。
今回から『「千里中央」の歴史』というタイトルで、千里中央について詳しく触れたいと思います。
〖期待を一身に、時代に先駆けた千里中央〗
■~近未来の発展を見据えて。住宅地に選ばれた千里(千里丘陵)~
かつて、千里は「ちさと」と呼ばれていました。「ちさと」とは、たくさんの里という意味で、緩やかな丘陵に小さい里が点在していたことが、その名前の由来のひとつだそうです。千里ニュータウンの開発を大阪府が正式決定したのは1958年(昭和33年)。昭和30年代に入り、都市部への人口集中が活発になると同時に核家族化が進み、大阪府でも住宅難は深刻でした。この問題への取り組みは急務であり、その対応に白羽の矢が立ったのが千里(千里丘陵)でした。大阪市の中心部からおよそ10kmの位置にあり、国鉄(現JR)や阪急の沿線に近いこと。
さらに、名神や中国自動車道などの高速道路が計画されているなど、近い将来を考えると千里ニュータウン建設に最も適した場所と判断されたのです。大阪府政史上かつてない大事業は着手され、1960年(昭和35年)マスタープランの公表へ。1962年(昭和37年)にはまちびらきとなりました。
■~良質な環境と豊かな文化。先進の都市計画、千里中央~
建てても建てても追いつかない住宅不足。この悩みを解消するには、これまでの住宅政策ではおぼつかない。
その切実な想いが、さまざまな施設や道路、鉄道も整備された15万人規模が暮らせる、日本ではまだ前例のない千里ニュータウン建設の推進力となりました。千里ニュータウンは、総開発面積1,160ha。約42%が住宅地、公園・緑地が約21%を占めています。良質な生活環境づくりの基になっているのは、アメリカの社会・教育運動家で地域計画研究者クラレンス・ペリーが提唱した「近隣住区理論」。それは、小学校をひとつの住区(まち)の単位とすることで、コミュニティのまとまりを生み出そうとする考え方です。
千里中央周辺では、マスタープランにもとづき、学校、公園、商業、医療などの施設を計画的に配置。日本の英知と、欧米のニュータウンの先進事例が多く取り入れられ、海外からも注目される街「千里中央」として、今も進化を続けています。
以上、千里中央駅直結・千里セルシー3階・豊中市、心療内科「杉浦こころのクリニック」の杉浦でした。