住みたい街「千里中央」(その7) | 豊中市 千里中央駅直結の心療内科「杉浦こころのクリニック」

ブログブログ

ホーム > SELCYブログ > 住みたい街「千里中央」(その7)

住みたい街「千里中央」(その7)

千里中央駅直結・大阪府 豊中市、心療内科 精神科「医療法人秀明会 杉浦こころのクリニック」の杉浦です。
今回は『住みたい街「千里中央」』の7回目です。前回に続き、千里中央について詳しく触れたいと思います。

【続き→】■北大阪急行と千里中央仮駅

新設の北大阪急行電鉄が営業運転を開始したのは、万博開幕前の2月24日です。
大阪市地下鉄が江坂まで延伸、そこからは北大阪急行が受け持ち桃山台~千里中央~万博中央口を新設し、万博へのメーン輸送機関となりました。
そのころの千里中央駅は仮駅として、中央環状線上にありました。千里阪急ホテルの南側です。当時は“万博直行電車”イメージで、千里サンタウン街千里中央地区センター)を遠目に、上新田北部を巻くような形で走っていました。
千里中央仮駅~万博中央口が廃止され、現在の千里中央駅となったのは万博が終了した9月からです。千里中央仮駅の乗降客は、現在の千里セルシーの南東側から陸橋を渡って通行しました。朝夕は通勤と万博見物に向かう千里中央地区の住民でにぎわったが、日中のプラットホームはひっそりとしていました。
千里中央駅長の話によると、「万博開催中はものすごい輸送人員でした。万博中央口が圧倒されるほどでしたから、日中の千里中央仮駅はほとんど印象に残っていません。通過駅ぐらいの印象でしたね」との事です。
北大阪急行電鉄の記録によると、昭和45年1年間の輸送人員は約5,540万人。そのうち約8割が定期外というから、乗客の大半は大阪方面からやってくる万博見物客だったともいえます。
日本万国博覧会EXPO’70は記録づくめでした。入場者数は約6,421万人、一日の入場者数平均は約35万人。夏休みになると60万人を越える日が続き、閉幕直前の9月5日(土)にはついに83万人を突破しました。夜にはなかなか退場できず、終電に間に合わなくなって4,500人が野宿したという記録も残っています。期間中の迷子は48,000人を数えました。
万博の成功は千里ニュータウンの存在が見逃せないです。あれほど交通基盤が整えられたのも、千里ニュータウン建設と時期が合致したからです。そして、万博はその後の千里ニュータウンの発展にも寄与、特に千里中央は本格的な新都心として成長して行くのです。

以上、千里中央、心療内科「杉浦こころのクリニック」(豊中市・千里ニュータウン・千里セルシー3階)の杉浦でした。

ページトップに戻る

レスポンシブウェブデザイン